PR

小倉全由と小倉優子は親戚関係?経歴や名言もご紹介します!

人物
スポンサーリンク

2023年5月27日(土・17時・TBS)放送のドキュメンタリー番組『バース・デイ』で、高校野球界の名将・小倉全由さんが取り上げられます。

長年高校野球の監督を務められてきたわけですが、もう引き際ということで2023年3月限りで退任されました。

↑厳しくも優しそうですね♪

関東一高と日大三高を率いて、甲子園優勝2回、準優勝2回を経験された凄い方です!

そんな小倉全由さんですが、何とタレントの小倉優子さんと親戚関係という噂が…。

そこで今回は、気になる小倉全由さんと小倉優子さんの関係や、経歴・名言などについてご紹介します。

小倉全由監督と小倉優子は親戚?

↑可愛いですね^^。

小倉全由さんと小倉優子さんは親戚関係という噂ですが、本当なのでしょうか?

名字が一緒ですから誰かが勝手に言い出したんじゃないですかね…。

と思ったら、小倉全由さんと小倉優子さんは本当に親戚関係です!!

実は、小倉全由さんは旧姓が「斉藤」で婿養子です。

親戚ではありますが、直接血の繋がりがあるわけではないようで、血縁関係があるのは奥様の方となりますね♪

日大三高が甲子園で優勝した時には、小倉優子さんはお祝いのコメントをしています!

さらに小倉優子さんは、阪神タイガースやオリックス・バファローズの監督および両球団のゼネラルマネジャーを歴任した元プロ野球選手の中村勝広さんも遠縁の親族ということで、何かと野球と縁がある方です^^。

小倉全由監督の経歴

続いて小倉全由さんの経歴です。

プロフィール

簡単にプロフィールからご紹介します。

名前:小倉全由(おぐら まさよし)

旧姓:斉藤全由

生年月日:
1957年4月10日(66歳・2023年5月時点)

家族:妻・娘2人

出身:千葉県長生郡一宮町

高校:日本大学第三高等学校

大学:日本大学

指導歴:
関東第一高等学校、日本大学第三高等学校

監督就任前

選手としては、一宮町立一宮中学校時代はエースで4番で活躍しました。

しかし、日大三高硬式野球部では、内野手として副将を任されたものの、残念ながらレギュラーではありませんでした。

卒業後は日本大学経済学部に進学し、野球部には入りませんでしたが、高校野球の指導者になりたいという夢を叶えるため、母校である日大三高のコーチになり、指導者としての一歩を踏み出します。

監督就任後

そして日本大学卒業後、1981年に関東一高野球部の監督に就任。

当時の関東一高野球部は、まだ甲子園出場経験がありませんでしたが、監督就任からわずか4年後の1985年に甲子園初出場を果たし、全国8強という好成績を残します。

さらに1987年の春のセンバツでは準優勝し、関東一高を全国区にしました。

しかし、その後の成績は振るわず、春夏ともに甲子園に行くことができず、1988年に辞任という形で監督業を退くことに。

その後は完全に野球から離れ、教員としての仕事に専念することになりますが、1992年12月に監督業に復帰し、1997年からは母校の日大三高の監督に就任します。

そして2001年、当時の甲子園歴代最高記録であるチーム打率.427の超強力打線、超攻撃野球で同校初の夏の甲子園優勝を成し遂げました^^。

さらに、2011年の夏の甲子園でも全国優勝し、母校に2度目の優勝旗をもたらします。

小倉全由さんの甲子園の通算成績は、

出場22回・37勝20敗・優勝2回・準優勝2回。

そして、2023年3月末で勇退、65歳なので日大三高も定年退職されました。

個人的に野球のことはよく知らないのですが、1回優勝するのも大変だと思うのに、2回も優勝する監督さんなんてあまりいないんじゃないですかね。

教え子にはプロ野球選手になった方がたくさんいますし、まさに高校野球の名将ですね^^。

スポンサーリンク

小倉全由監督の名言

そんな名将は名言を残していますので、みなさんにご紹介します。

・「みんな、咲いた花を見るのは好きだけど、咲くまでの過程には興味がない。花が咲くには、強い根があってこそ。」

・「やみくもに厳しさだけを押しつけるのは、単に指導者の自己満足であり、選手にしてみたら何ひとつプラスにならない」

・「『粘り強さ』や『あきらめない心』というのは、 日頃からの正しい行いの積み重ねによって生まれてくるもの」

・「失敗したからこそ強くなれるんです」

・「一生懸命というものがどういうものなのかを教えたいんです」

なんか心にグサッと刺さるような気がしますね…。まさに名言…。

小倉全由さんの指導法ですが、実は単身赴任しており、寮で生徒達と寝食を共にして絆を深めるというものでした。

一緒に風呂に入って汗を流したり、自身の失敗談を包み隠さず話すなどして、人望はとても厚かったようです^^。

練習ではとても厳しいですが、決して無理はさせず、その人柄について選手達は「お父さんみたい、優しい」とのこと。

関東一高時代は、スパルタ的な指導者だったみたいですが…。

そんな監督の想いに応えるかのように、選手達は「監督のために勝ちたい」「監督を男にしたい」という想いで試合に臨み、夏の甲子園優勝を果たしました。

ただ厳しいだけでは子供達からは信頼されませんよね。

自分たちを可愛がってくれてるなぁとみんな感じていたのではないでしょうか^^。

まとめ

以上、高校野球界の名将・小倉全由さんの小倉優子さんとの関係や、経歴、名言についてでした。

小倉優子さんと本当に親戚だとは驚きましたし、甲子園優勝2回も凄いですよね^^。

このような名監督が居なくなったのは、高校野球界にとっては残念なことだと思いますが、後進に道を譲るのも大切ですし、もしかしたらアドバイザー的な感じで復帰があるかもしれません♪

この記事があなたのお役に立てれば幸いです。

最後までご覧いただきありがとうございました。

スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました